注目論文の解説

α-グルコシルルチンがヒトiPS細胞の代謝を活性化する作用機序を解明

2021年10月12日

要点

  • α-グルコシルルチン(天然化合物ルチンの水溶性を高めた化合物)のヒトiPS細胞における効果を解明。
  • ヒトiPS細胞ではα-グルコシルルチン処理により遺伝子発現が活性化し、細胞内代謝が一時的に増加することを発見。
  • α-グルコシルルチンの新たな効果が、食品や化粧品などの分野に波及することを期待。

概要

東京工業大学 科学技術創成研究院 ゼロカーボンエネルギー研究所の島田幹男助教、松本義久准教授とタカラベルモント株式会社の三宅智子研究員らの研究グループは、α-グルコシルルチンがiPS細胞の代謝を活性化する作用を持つことを明らかにした。

α-グルコシルルチンは、天然フラボノイド[用語1]配糖体であるルチンの誘導体であり、ルチンよりも水溶性が高い。そのため、食品や化粧品の抗酸化剤、着色剤として使われてきたほか、放射線防護作用[用語2]を持つことが報告されている。しかし、幹細胞に対する作用はこれまで明らかになっていなかった。

今回の研究では、線維芽細胞[用語3]、iPS細胞由来ケラチノサイト[用語4]、iPS細胞について、α-グルコシルルチンによる細胞応答を比較解析した。その結果、iPS細胞では、α-グルコシルルチン処理によって最初期遺伝子(immediate early gene; IEG[用語5]応答が起こり、細胞内代謝が一過性に増加することを発見した。これは幹細胞に対するα-グルコシルルチンの作用機序を明らかにした初めての例であり、幹細胞の多能性維持や細胞内代謝制御機構の解明だけでなく、食品や化粧品など様々な分野への波及効果が期待される。

本研究はタカラベルモント株式会社と共同で実施し、研究成果は米国国際科学誌「Stem Cell Research」電子版に8月20日に掲載された。

研究の背景

生体では、細胞内代謝により発生する活性酸素などの内的要因や紫外線、放射線などの外的要因により、常に細胞内DNAに損傷が生じている。その損傷は生体に本来備わっているDNA修復機構[用語6]によって直ちに修復されるが、まれに修復しきれなかった損傷が細胞内に蓄積することにより、細胞のがん化や老化につながると考えられている。

こうしたことから、島田助教、松本准教授、三宅研究員らの研究グループは、これまでに多能性幹細胞であるヒトiPS細胞から、神経幹細胞/前駆細胞[用語7]および皮膚ケラチノサイトを分化誘導し、多能性幹細胞と体細胞におけるDNA損傷応答の違いを解析してきた。iPS細胞などの多能性幹細胞は、DNA修復だけでなく、細胞周期、代謝など、様々な分子機構が体細胞とは異なり、多能性や高い増殖能の維持と関係している。

一般に細胞は、恒常性を維持するために、細胞外からの刺激に対して様々な応答を行うが、最初期遺伝子(immediate early gene; IEG)応答もその一つである。IEG応答は、細胞外からの刺激によって、数分以内にIEGと呼ばれる複数の遺伝子が一時的に増加する現象で、細胞周期の調節や、細胞増殖、細胞分化に関わる。IEG応答は神経細胞によくみられる現象であるが、最近では他の組織細胞でも起こることが知られている。

こうした細胞応答は化合物の刺激によっても起こる。α-グルコシルルチンは、ソバや柑橘類などに含まれる天然のフラボノイド配糖体であるルチンに、酵素処理によって糖を付加し、水溶性を高めた化合物である。ルチンには、抗酸化、抗炎症などの作用があり、α-グルコシルルチンも、化粧品や食品の抗酸化剤や着色剤等に使用されている。さらにα-グルコシルルチンは、細胞に対する放射線防護作用を持つことも報告されているが、細胞応答に対する影響については不明な点が多く、特に幹細胞に対する作用は明らかになっていなかった。

そこで今回の研究では、ヒトiPS細胞から表皮ケラチノサイトを作製し、α-グルコシルルチンを作用させた場合の細胞応答の比較を行った。

研究成果

実験ではまず、ヒト皮膚線維芽細胞から作製したiPS細胞を皮膚ケラチノサイトに分化誘導した。そのうえで、線維芽細胞、iPS細胞、iPS細胞由来皮膚ケラチノサイトにα-グルコシルルチン(図1)を作用させたときの遺伝子発現変化を、次世代シークエンサー[用語8]を用いて網羅的に解析した。線維芽細胞では、細胞周期に関わる遺伝子などを含むIEGが増加したが、iPS細胞では、IEGの増加(図2)に加え、神経などへの分化に関わる遺伝子も増加した。また、表皮ケラチノサイトでは、ヒートショックプロテインの発現が増加しているという違いがみられた。さらにiPS細胞の多能性にα-グルコシルルチンが及ぼす影響を調べたところ、多能性マーカー[用語9]の発現は低下せず、多能性が維持されていることがわかった。


図1 α-グルコシルルチンの構造
α-グルコシルルチンは、フラボノイド配糖体であるルチンの誘導体。ルチンにグルコースを付加した化合物。ルチンよりも水溶性が高い。

図2 α-グルコシルルチンによるIEGの誘導
α-グルコシルルチンをiPS細胞に作用させ、IEGであるFOS、SRF、ATF3の発現をリアルタイムPCRにより調べた。50 µM α-グルコシルルチン処理4時間後に増加したIEGは、24時間後には低下しており、IEG応答が起こっている。

次に、α-グルコシルルチンがiPS細胞の細胞増殖や代謝に及ぼす影響を調べた。その結果、細胞数の大幅な増加はみられなかったが、細胞内代謝が増加し(図3)、代謝に関わるACLYなどの遺伝子の発現が一過性に増加していた。また、代謝関連成分である乳酸やアセチルCoAが増加傾向であった。

これらの結果から、iPS細胞ではα-グルコシルルチン刺激により、IEG応答が起こることで、分化のシグナルが一過性に増加することがわかった。同時に、多能性幹細胞としての性質を維持する機構が働くことで、多能性は失われず、さらに細胞内の代謝が一過性に増加していることが明らかになった(図4)。


図3 α-グルコシルルチンによるiPS細胞内代謝の増加
α-グルコシルルチンをiPS細胞(C2、201B7)、線維芽細胞(NB1RGB)、iPS細胞由来皮膚ケラチノサイト(P1)、大腸がん細胞(HCT116)に作用させ、WST-8アッセイにより代謝活性を調べた。iPS細胞では、α-グルコシルルチン濃度の増加に伴い、細胞内の代謝活性が増加していることが確認できた。

図4 iPS細胞におけるα-グルコシルルチンの作用
α-グルコシルルチンをiPS細胞に作用させると、JUN、FOSなどのIEGの発現が一時的に増加する。また、細胞内のエネルギー代謝産物である、乳酸やアセチルCoA濃度も増加し、代謝に関わるACLYなどの発現も増加した。

今後の展開

多能性幹細胞におけるIEG応答については明らかになっていない点が多く、本研究はIEG応答とエネルギー代謝、多能性維持との関係性の解明に貢献することが期待される。同時に、α-グルコシルルチンの新たな効果が発見されたことで、食品や化粧品など様々な分野での応用と波及効果が期待できる。

用語説明

[用語1] フラボノイド:
植物によって合成される化合物で、ポリフェノールの一種である。
[用語2] 放射線防護作用:
放射線照射により生じるラジカルや活性酸素を消去することで、放射線の作用を軽減する作用。
[用語3] 線維芽細胞:
肌のハリや弾力のもととなるコラーゲン、エラスチン、ヒアルロン酸を作り出す細胞。線維芽細胞が活発に働いている間はコラーゲン、エラスチン、ヒアルロン酸の新陳代謝がスムーズに行われ、ハリと弾力のある瑞々しい肌を保っているが、老化や紫外線などのダメージにより、線維芽細胞が衰えて働かなくなると、新陳代謝は鈍り、コラーゲンやエラスチンが変性することで弾力を失い、ヒアルロン酸が失われることで水分が減少していく。
[用語4] ケラチノサイト:
皮膚角化細胞ともいう。表皮に存在する細胞の95%を占める。表皮の外層はケラチノサイトの角化(脱核)により形成され、皮膚の最外層として直接外部に接触しており、物理的な刺激から体を守る重要な部位である。
[用語5] 最初期遺伝子(immediate early gene; IEG):
様々な細胞刺激によって迅速に活性化される遺伝子。
[用語6] DNA修復機構:
放射線などにより細胞内のゲノムDNAは損傷を受ける。これに対して生体はDNA損傷応答機構というDNA損傷を効率的に修復する防御機構を有している。これには様々なタンパク質が関与している。
[用語7] 幹細胞/前駆細胞:
幹細胞は、自己複製能と様々な細胞に分化する能力(多分化能)を持つ特殊な細胞のこと。この2つの能力によって発生や組織の再生などを担うと考えられている。幹細胞はいくつかに分類され、主に胚性幹細胞(ES細胞)、成体幹細胞、iPS細胞などがあげられる。前駆細胞は幹細胞から特定の体細胞や生殖細胞に分化する途中の段階にある細胞のこと。
[用語8] 次世代シークエンサー:
大量のDNA塩基配列を解析できる装置。
[用語9] 多能性マーカー:
iPS細胞などの多能性幹細胞が未分化状態のときに発現している分子。

論文情報

掲載誌 :
Stem Cell research
論文タイトル :
α-glucosyl-rutin activates immediate early genes in human induced pluripotent stem cells

(α-グルコシルルチンがヒトiPS細胞においてIEGsを活性化する)

著者 :

Tomoko Miyake, Munekazu Kuge, Yoshihisa Matsumoto, Mikio Shimada

DOI :
https://dx.doi.org/10.1016/j.scr.2021.102511