注目論文の解説

イットリウム89の低エネルギー中性子共鳴の発見

2021年6月21日

要点

  • イットリウム89(Y-89)の新たな低エネルギー中性子共鳴[用語1]を発見した。共鳴エネルギーは19.7eVであり、これまで知られていた一番エネルギーの低い共鳴(2600eV)よりもはるかに低い。

概要

大強度陽子加速器施設(J-PARC)の核破砕中性子源[用語2]からのパルス中性子を用いた飛行時間法[用語3]による中性子捕獲反応[用語4]実験により,Y-89の新たな中性子共鳴を発見した。観測された共鳴エネルギーは19.7eVで、これまで報告されていた共鳴の最低エネルギー(2.60keV)よりもはるかに低い。さらに飛行時間測定に加えて、即発ガンマ線により共鳴の核種を同定した。

研究の背景

中性子共鳴データは原子核工学において重要な基盤データであり、より多くの核種の中性子共鳴データを測定し網羅的にデータベース化することは重要である。イットリウムの低エネルギー領域における測定は1950年代以降全くなされていなかった。そのため、今回、J-PARCにおいて測定を行った。

研究の方法

測定は、茨城県東海村にある大強度陽子加速器施設(J-PARC)で行った。J-PARCの物質・生命科学実験施設(MLF)の核破砕中性子源からのパルス中性子ビームを測定に用いた。J-PARC/MLFの核破砕中性子源は世界でもトップクラスの高強度パルス中性子ビームをユーザーに提供している。測定はJ-PARC/MLF内の中性子ビームラインの一つ中性子核反応測定装置(ANNRI)の飛行距離27.9 mの位置にイットリウム試料を設置し、ANNRIのNaI(Tl)検出器を用いて中性子捕獲反応から放出される即発ガンマ線を検出した。中性子エネルギーは飛行時間法により決定した。さらにゲルマニウム検出器による追加測定も行い即発ガンマ線スペクトルも測定した。

研究成果

測定で得られた飛行時間スペクトルを図1に示す。これまで知られていたY-89の共鳴は最低エネルギーが2600eVであった。今回の測定でそれよりはるかに低い19.7eVのところに新たなに観測した。イットリウムは安定同位体がY-89のみ(天然存在比100%)で高価な濃縮同位体試料も必要なく測定も容易である。にもかかわず、このような低いエネルギーに未報告の共鳴があったのは驚きであった。

図1 Y-89の中性子飛行時間スペクトル
図1 Y-89の中性子飛行時間スペクトル

原子核反応の個々の共鳴エネルギーを純粋に理論予測することは現在のところ不可能であり、測定がそれを知る唯一の手段となる。イットリウムの場合、keVより下のエネルギー領域の測定は1950年代にブルックヘブン国立研究所の研究炉で行ったものが一例あるのみであった。その後、半世紀以上、測定が全くなかった。その唯一の測定で共鳴が全く観測されなかったため低エネルギー領域には共鳴は存在しないことになっていた。

過去の膨大な測定データに基づいて中性子共鳴のデータベースが作られている。そのため、我々にはありふれた安定同位体の共鳴に関してはよく分かっているはずという先入観がありる。今回の測定でも当初はkeV領域に関心があったが、J-PARCでは、meVからkeV領域まで広いエネルギー範囲の測定ができるため偶然観測した。最初は報告されているY-89の共鳴に該当しなかったので試料中の不純物の共鳴かと考えられたが、共鳴エネルギーからデータベースを検索しても該当する核種が存在しないため、これはY-89自体の共鳴だという結論となった。さらにゲルマニウム検出器を用いた追加測定を行い、飛行時間スペクトルだけではなく即発ガンマ線スペクトルからもY-89で間違いないという結論に至った。

近年、中性子共鳴が元素分析に利用されている。今回の共鳴データはイットリウムを同定する際に有用なデータとなる。keV領域よりもeVの低エネルギー共鳴の方が容易に測定できる。そのため、今回の結果はイットリウムの同定が容易になることを意味する。

さらに大きな視点で捉えると、核反応データベースの信頼性の向上に貢献する。核反応データの測定値は、日本のJENDLや米国のENDFのような評価済み核データライブラリの構築に生かされる。中性子輸送を扱うモンテカルロシミュレーションはこれら核データライブラリを用いている。つまり、核データライブラリの信頼性はシミュレーションの信頼性に直結する。核データはしばしばブラックボックス的に扱われ、核データの専門家以外はその中身にあまり目を向けることはないが、計算の土台にはこういった物理データが存在していることを忘れてはならない。計算の信頼性という観点からも、核データの質を向上するという努力は必須である。今回の結果は、たとえありふれた核種でも十分に分かっているという先入観は捨て、慎重にならなくてはならないことを教えてくれる。

用語説明

[用語1] 中性子共鳴:
中性子による原子核反応はある特定のエネルギー反応断面積が何桁も大きくなる現象があり、これを共鳴と呼ぶ。
[用語2] 核破砕中性子源:
GeVオーダーの高エネルギー粒子が原子核に衝突すると原子核をバラバラに分解する核破砕反応が起きる。核破砕反応からは大量の中性子が発生するため効率的に中性子を発生させる手段として利用されている。核破砕中性子源は高強度中性子ビームを生成するものとして世界各国で運転・建設が進められている。
[用語3]  飛行時間法:
中性子のエネルギーを計測する手法。中性子をある一定距離飛行させ、その飛行時間を計測することで中性子エネルギーを決定する。
[用語4]  中性子捕獲反応:
中性子が原子核に吸収されそのまま相手原子核の一部になる原子核反応を中性子捕獲反応という。中性子捕獲反応を起こすと中性子数が1増えた同位体が生成される。また、中性子捕獲反応により即発ガンマ線と呼ばれるガンマ線が放出される。

論文情報

掲載誌 :
European Physical Journal A
論文タイトル :
Discovery of a new low energy neutron resonance of 89Y
著者 :
Tatsuya Katabuchi1), Yosuke Toh2), Motoharu Mizumoto1), Tatsuhiro Saito1), Kazushi Terada1), Atsushi Kimura2), Shoji Nakamura2), Huang Minghui2), Gerard Rovira2) and Masayuki Igashira1)
1) Laboratory for Advanced Nuclear Energy, Institute of Innovative Research, Tokyo Institute of Technology
2) Department of Nuclear Science and Engineering Directorate, Japan Atomic Energy Agency
DOI :
https://doi.org/10.1140/epja/s10050-020-00320-8